【富士通テン】バレーボール教室
『蒜山スポーツ少年団』の主催によって、2012年3月3日(土)及び3月4日(日)の2日間にわたり、兵庫県神戸市より『富士通テン女子バレーボール』チームを招き、バレーボール教室を開催致しました。『富士通テン女子バレーボール』チームは、全国優勝10回を誇る9人制バレーボール界の強豪チームです。
・全日本実表団:優勝2回
・国民体育大会:優勝2回(準優勝2回)
・櫻田記念:優勝2回(準優勝2回)
・全日本総合:優勝4回(準優勝2回))
そのチームを率いる監督の「竹口和三」氏は、現役時代9人制バレーボール界のスーパースターであり、9人制の主要大会において20回以上の全国優勝を経験しており、現役時代また監督になってからも数多く日本一に輝いている『日本バレーボール協会』至宝の1人です(何かを持ってる男です!)。
その監督と選手達が指導するバレーボール教室は、大いに盛り上がり、子供達が本当に楽しくバレーボールをしている姿が、とても印象に残りました(この中から未来の全日本選手が誕生してくれたら・・・)。
3月3日(土)のバレーボール教室終了後は、『ひるぜん大将』でジンギスカンを食べて頂き、その際に撮った竹口監督と記念の2ショットです。

間もなく9人制バレーボール界も2012年のシーズンがスタートします。「日本一」奪回に向けてチーム一丸で頑張って下さい。
また、『富士通テン』バレーボール教室開催にあたり、運営・協力して頂きました植木さんまた関係者の皆様、本当にありがとうございました。
『富士通テン女子バレーボール』ホームページ
http://www.fujitsu-ten.co.jp/volleyballteam/
以上
・全日本実表団:優勝2回
・国民体育大会:優勝2回(準優勝2回)
・櫻田記念:優勝2回(準優勝2回)
・全日本総合:優勝4回(準優勝2回))
そのチームを率いる監督の「竹口和三」氏は、現役時代9人制バレーボール界のスーパースターであり、9人制の主要大会において20回以上の全国優勝を経験しており、現役時代また監督になってからも数多く日本一に輝いている『日本バレーボール協会』至宝の1人です(何かを持ってる男です!)。
その監督と選手達が指導するバレーボール教室は、大いに盛り上がり、子供達が本当に楽しくバレーボールをしている姿が、とても印象に残りました(この中から未来の全日本選手が誕生してくれたら・・・)。
3月3日(土)のバレーボール教室終了後は、『ひるぜん大将』でジンギスカンを食べて頂き、その際に撮った竹口監督と記念の2ショットです。

間もなく9人制バレーボール界も2012年のシーズンがスタートします。「日本一」奪回に向けてチーム一丸で頑張って下さい。
また、『富士通テン』バレーボール教室開催にあたり、運営・協力して頂きました植木さんまた関係者の皆様、本当にありがとうございました。
『富士通テン女子バレーボール』ホームページ
http://www.fujitsu-ten.co.jp/volleyballteam/
以上
我が親友『江口 良浩』
つい先日、大阪の京橋で自他共に認める我が親友『江口 良浩』と再会した。お互い歳は重ねたものの昔と何も変わらない彼がいた。
なぜ、親友のことをブログで報告したかったのかと言えば、彼は、高校時代に大阪バレーボール界の歴史を変え、また大学入学後は、西日本大学バレーボール界の歴史を変えた男と言っても過言ではないキャプテンシー及び闘争心を持ち合わせた選手であったからだ。
1982年、江口は大阪バレーボール界の名門清風高校へ入学する。(ちなみに私は此花学院高校へ入学)
清風高校の選手層は厚かったにも関わらず、入学当時からベンチ入りし、その年にはインターハイ出場を果たしている。
私が、彼のプレーを始めて見たのが、その年に開催された大阪府商業大会だったように記憶している。その大会で此花学院に敗れたため、アスファルト上でワンマンされている光景を鮮明に覚えているからだ。彼のプレースタイルは、元気が良く当時下級生ながらチームを引っ張り、バレーボールを楽しみながらプレーしているなぁ!(1年生なのに図太いなぁ)とうい印象だった。
当時、大阪府の高校バレーボール界は、大阪商大付が圧倒的な強さを誇っていた。事実春の高校バレーは第1回から第13回まで、全国で唯一の連続出場を誇っていた。その間、優勝3回、準優勝4回、ベスト4に4回と毎年優勝争いしている強豪チームだった。
1983年、大阪商大付が新人戦でセットを奪われる結果が報じられ、「今年の商大はおかしいぞ」という前評判がたった。我々此花学院も「俺たちにも勝てるチャンスはある」と信じ、迎えた第14回春の高校バレー大阪予選、私の此花学院は3回戦で大阪商大付と対戦することとなった。結果は無残にも完敗だった。(この年の大阪商大付には後のバルセロナ五輪代表の松田明彦選手がいた)
決勝戦は大方の予想通り大阪商大付 vs 清風の対戦となった。
当時の清風の勢いから「大阪の歴史は変わる」と誰もが思った。スーパーエース川釣(現氷上高校監督)も絶好調。誰もが清風の優勝を信じた。しかし、緊張した選手もいたのか、予想に反して清風は敗退することとなり、大阪商大付は、14年連続春高バレーの出場を果たすこととなる。
江口が意地を見せたプレーは、大阪商大付のエースアタッカーを1枚ブロックで止めたシーン。このブロックは、江口の強い気持ちがこもっていた。
この時私の気持ちはどうだったのか、正直、大阪商大付に勝利してもらいたかった。やはり、「大阪の歴史は俺達が変える」と言う気持ちが強かったのだろう。
しかし清風は、同年のインターハイ大阪予選で見事大阪商大付を撃破し雪辱を果たすこととなる。
また、この年清風はインターハイでベスト4に進出している。
1984年、インターハイ予選では、清風が大阪商大付を倒し大阪の歴史を変えたが、本当の歴史を変えるのは、春の高校バレー大阪予選にて大阪商大付を撃破すること。
前評判では、清風、大阪商大付が優勝候補と言われ、ダークホースに此花学院があげられたが、3回戦で大阪商大付と対戦し、後一歩のところで勝利を逃してしまった。後一歩何かが足りなかったのは、今になって分かるような気がする。
決勝戦は昨年同様、大阪商大付 vs 清風の対戦となった。
江口は華麗なトスワークと口撃で、優位にゲームを進めていく。試合はジュースまでもつれる熱戦となったが、最後は、スーパーエース川釣がゲームを決めた。関西TVの塩田アナが「大阪の歴史が変わった」と名言を残した。
この試合を通じ、江口の気の強さとチームメイトへの気配りが見えた。競っているとき下級生がスパイクを失敗しても、また同じアタッカーを使う。「お前が決めるまで使うよ」そんな意思表示だったのか。
この時点では、江口と一度も話したことは無かった。次回は、彼との接点と彼の大学時代に触れてみたいと思う。
<続く>
なぜ、親友のことをブログで報告したかったのかと言えば、彼は、高校時代に大阪バレーボール界の歴史を変え、また大学入学後は、西日本大学バレーボール界の歴史を変えた男と言っても過言ではないキャプテンシー及び闘争心を持ち合わせた選手であったからだ。
1982年、江口は大阪バレーボール界の名門清風高校へ入学する。(ちなみに私は此花学院高校へ入学)
清風高校の選手層は厚かったにも関わらず、入学当時からベンチ入りし、その年にはインターハイ出場を果たしている。
私が、彼のプレーを始めて見たのが、その年に開催された大阪府商業大会だったように記憶している。その大会で此花学院に敗れたため、アスファルト上でワンマンされている光景を鮮明に覚えているからだ。彼のプレースタイルは、元気が良く当時下級生ながらチームを引っ張り、バレーボールを楽しみながらプレーしているなぁ!(1年生なのに図太いなぁ)とうい印象だった。
当時、大阪府の高校バレーボール界は、大阪商大付が圧倒的な強さを誇っていた。事実春の高校バレーは第1回から第13回まで、全国で唯一の連続出場を誇っていた。その間、優勝3回、準優勝4回、ベスト4に4回と毎年優勝争いしている強豪チームだった。
1983年、大阪商大付が新人戦でセットを奪われる結果が報じられ、「今年の商大はおかしいぞ」という前評判がたった。我々此花学院も「俺たちにも勝てるチャンスはある」と信じ、迎えた第14回春の高校バレー大阪予選、私の此花学院は3回戦で大阪商大付と対戦することとなった。結果は無残にも完敗だった。(この年の大阪商大付には後のバルセロナ五輪代表の松田明彦選手がいた)
決勝戦は大方の予想通り大阪商大付 vs 清風の対戦となった。
当時の清風の勢いから「大阪の歴史は変わる」と誰もが思った。スーパーエース川釣(現氷上高校監督)も絶好調。誰もが清風の優勝を信じた。しかし、緊張した選手もいたのか、予想に反して清風は敗退することとなり、大阪商大付は、14年連続春高バレーの出場を果たすこととなる。
江口が意地を見せたプレーは、大阪商大付のエースアタッカーを1枚ブロックで止めたシーン。このブロックは、江口の強い気持ちがこもっていた。
この時私の気持ちはどうだったのか、正直、大阪商大付に勝利してもらいたかった。やはり、「大阪の歴史は俺達が変える」と言う気持ちが強かったのだろう。
しかし清風は、同年のインターハイ大阪予選で見事大阪商大付を撃破し雪辱を果たすこととなる。
また、この年清風はインターハイでベスト4に進出している。
1984年、インターハイ予選では、清風が大阪商大付を倒し大阪の歴史を変えたが、本当の歴史を変えるのは、春の高校バレー大阪予選にて大阪商大付を撃破すること。
前評判では、清風、大阪商大付が優勝候補と言われ、ダークホースに此花学院があげられたが、3回戦で大阪商大付と対戦し、後一歩のところで勝利を逃してしまった。後一歩何かが足りなかったのは、今になって分かるような気がする。
決勝戦は昨年同様、大阪商大付 vs 清風の対戦となった。
江口は華麗なトスワークと口撃で、優位にゲームを進めていく。試合はジュースまでもつれる熱戦となったが、最後は、スーパーエース川釣がゲームを決めた。関西TVの塩田アナが「大阪の歴史が変わった」と名言を残した。
この試合を通じ、江口の気の強さとチームメイトへの気配りが見えた。競っているとき下級生がスパイクを失敗しても、また同じアタッカーを使う。「お前が決めるまで使うよ」そんな意思表示だったのか。
この時点では、江口と一度も話したことは無かった。次回は、彼との接点と彼の大学時代に触れてみたいと思う。
<続く>
ブログを始めました
『ひるぜん大将の若大将ブログ』を始めました。
地元蒜山の情報は、勿論、その他スポーツや、趣味なんか色々更新していきますので、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
次回更新時には、私の親友について語りたいと思います。
地元蒜山の情報は、勿論、その他スポーツや、趣味なんか色々更新していきますので、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
次回更新時には、私の親友について語りたいと思います。